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和食・洋食

ズバリ 牛丼 は 和食ですか。洋食ですか。
問われるまでなく 和食と思っていました。
洋食らしいです。

仙台市内中心部で「和風牛丼」始めました の幟が ハタハタしていました。
この店長 か 調理師は 是までの 牛丼は 洋食であると思い 供していた。
天変地変が続く 世情に 画期的食事を提供したいと考えたのが 和風牛丼 なのか。

試食すれば 一発解決ながら 国語素養?が邪魔して 食していません。
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救急車

某市民センター主催「救急車が届くまで」が、オープン病院でありました。
仙台市に救急車が22台、ドクターカーが1台、ヘケコプターが2機ある。
電話は消防局で受ける。同時に 最寄りの発出所に指示が飛び、電話が終わる頃 発車している。7分程度到着する。
サイレンを鳴らさないで来いと言われる場合がある。救急車に一目置かないで暴走する車があり、危機回避 安全確保から鳴らさない訳には行かない。
救急車の音が聞こえたら 玄関前であたりで 誘導して貰えればありがたい。一軒ごと 「お宅救急車 呼びましたか」と聞いて歩けば それだけ 遅くなる。
搬出が容易な様に 屋内を整理整頓しておいてほしい。救急隊隊員がベランダに荷持ちを片づけ 漸う搬出したケースがある。遅くなる。
かかりつけ医者、薬に 緊急連絡先 メモし 判る様にして。爺婆2人で「婆様  独りで医者に行き 飲用しているので 俺知らない」と言った爺様がいます。搬送が 遅れます。
脳梗塞等は すぐ 救急車で入院されたい。3時間以内に処置完了しないと駄目。「夜中 具合が悪くなり 息子に電話したら ネテロ 明日 明るくなったら 行ったら それまで様子を観察したら」 これは 完全に手遅れ 半身不随になる。
呼吸が無い、心臓止まった。救急車来るまで 人工マツサージを施せ。7-8分だ。それで助かる。ボケーとしていた例がある。
怪我対応 止血等に タオルとサランラップを用意しておくように。使い方を実演。納得。

最後に 病院屋上で 仙台市自慢のヘリ2機 交互に 離発着を披露。
途中 病院の営業広報もありました。
参加者一同 「力強い講座であった」の感想。玄関を出ても 忘れないように。

救急車を呼んだ 乗った ことあると 本日の参加者の半数が 挙手しました。
高齢者には 身近な乗り物なのか でも 呼ばない 乗らない の生活を続けるように 節制に努めます。

半年 今 この先

13日 瑞鳳殿・仙臺城址に続いて 仙台港から空港までの被災地を案内しました。
この間 瑞鳳殿・仙臺城址には バスが何台か入りました。修学旅行生も居ました。 その絶対量は 前年同月比 遙か少ないです。
ササカマ工房は 開店休業の状態でした。
中国人を含む外国人の 瑞鳳殿参拝者を 全く見かけなくなりました。
日本国内外からの 観光客が ストップしている状態です。

空路・鉄道・陸路 共に回復しました。ホテル等も OKです。なぜ 人が動かないのか 訪れないのか。

過日の案内は 巷の老人の案内ですから 資料もありません。ただ 現状をみて貰っただけです。テレビ 写真等で見るのと 現場を直接 見るのでは迫力・訴えるものが 異なります。資料は無くとも 得るものがあったと思います。
被災直後 多額の義援金が 赤十字に集まりました。被災者に もう ソロソロ 届いたか 遅々とした配分で 寄付された方々の厚意が 生きたかです。生きた支援 それは、一般市民の方々も ドシドシ被災地を訪れて頂きたいと思います。その迫力に圧倒され 被災者と共通の意識に立てると思います。精神的支援に繋がります。訪れ 弁当と飲み物を現地で調達して下さい。これだけでも 経済的支援の一歩となります。

その後 秋保温泉にでも宿泊 宴会し 翌日 瑞鳳殿を参拝の通常の観光旅行をする。この様な団体が 増えれば 東北全体が 雇用を生じ 復旧の足がかりとなります。

被災から半年 今 この先  難しい顔をしての 支援でなく 三方 笑顔での支援 被災地訪問を含む観光旅行の企画が 旅行社に採用され 売り出されるを期待しています。

半年 今

あの大震災から 半年が経過した。

09年櫻観測でお世話になった宇和島市の高官が公務で仙台を訪れました。一時の時を頂き歓談しました。
シオカラトンボのライフワークのガイド先 瑞鳳殿と仙臺城址を お付き合い頂きました。

日本一の仙臺七夕 本来 開催時期にお出で頂き 豪華 華麗を見て頂くのが本筋。
代替えとして ○○ササカマ 本社工場併設の七夕館を案内しました。本物の気分を幾ばくでも感じて頂けたか。
ササカマ製作体験工房併設のササカマ館 行程コンベアも 職人伝統工法も 稼働していなく 売店も縮小されていました。
観光バスが間断なく 入り 見学・買い物に 賑わっていましたのに、今日は我々だけ。淋しい限りでした。
震災で 観光旅行が ストップしたための光景です。早く 回復 活発にするには 被災地支援のお気持ちがあれば 旅行にお出で頂きたいものです。

高官の感想は 人出が皆無に等しい 淋しいについては 漏らしませんでしたが、ササカマ製作の体験できる施設があるのは 羨ましい と洩らしました。確かに こねて 串に刺して 焼いて 即 食べる は美味です。みなさま お土産に買われるます。
ササカマとジャコテンは 東西 伊達家を代表する美味の横綱です。宇和島にも 斯様な施設が出来ればと思います。

今の時期 東北 仙台でなければ 見られないものを ご案内したいと思いますが 受け手頂けますか。ハイ 是非との返事を頂き。
津波被害を受けた 東部工業地帯から 仙台港に、埠頭に乗り上げた 大型貨物船と 大破した倉庫等を見て頂き、空港に向かう県道を南下しました。
瓦礫の一時集積所、墓石が転倒した墓地、大草原の景をなしている田圃、枯れ木が散在する湿地(元は田圃)、破損し道路端に放置された漁船、数々の廃屋を車窓から見て頂き 、閖上の町址に入り 日和山 山頂から四方を 地図と対象しながら ご覧頂きました。
行政視察ではありません 一介の巷の老人の案内ですから 資料は皆無に等しいです。
ですが、震災から 半年 住む人が居ない町では なく  町があって 人々が生活していた 痕跡がかすかに残っている現状をご覧頂きました。
津波は 怖い はご理解頂けたと 思います。

半年 今 我々は なにをなすべきか。
位人臣を極めた大臣であれば「死の町」の一言で゛終わりでしょう。
生きる町に再生させるには どのように 参加すれば よいのか。
続く  

教育とは

学童に対して 真実を示す これが教育の基本だと思います。
口先で 命を大切に 自然の猛威に備えましょう と 唱えただけでは 駄目だと思います。

仙台市教育委員会は 修学旅行を 福島県会津地方から全面的に撤退・中止しました。
シオカラトンボ が訪れた際 会津若松市内各施設 裏磐梯 共に 閑古鳥が啼いていました。
東北は一つ 助け合いましょう と 唱えながら 立入・旅行を忌避した。この選択は 正しいでしょうか。

今朝の地元紙は 山形県の修学旅行が 定番の瑞厳寺等松島観光と共に 周辺 被災地を訪れ 被災状況を直視し、被災地の住民から体験談を聞く計画と報じています。
百聞は一見にしかず と申します。大部 整理されましたが 被災地を見ることは 写真等で見ると 全く異なります。迫力があります。自然の猛威 恐ろしさが 理解できます。
被災地の住民と語ることは 学童にひしひしと伝わり 住民には癒しと活力をもたらします。
学童の宿泊ですから 単価は 低いでしょう。宿泊業者の利は低いでしょう。又 学童の小遣いは ささやかで 購買額は 多くないでしょう。
しかし、 幾らでも被災地に 金を落として呉れることは 人心と経済の活性化になります。
正に 東北は一つ 困ったときは 助け合いましょう の実戦です。これが 本当の教育だと思います。
山形県の教育委員会の英断は 国民栄誉章に相当します。

おにぎり

おにぎり 食べますか 好きですか
日本人の原点と思います。日本昔話に始まります。

宮城教育大学の広報誌「あおば わかば」震災特集号を読みました。
各大学でも 発行されているでしょうが 巷の老人には入手困難です。

さて 「証言 その時何を見たか そして何を考えたか 学生、卒業生たちの3.11」です。

ある学生は 帰宅途中に電車が野蒜で津波に遭い、車中・鳴瀬・石巻向陽と仮泊 6日目に自宅に辿り着き 両親と再会した。
この間 自宅の1階は水没 水が引いた5日目から 自転車で探しにでかけ 遺体安置所にも 探しに行った。この話を聞いて 親に心配をかけてゴメンと 何度も思った。親の心を知った話しです。

ある若い先生は 勤務地石巻市内で生活出来なく 30km彼方のオバアチャンの家 母の実家に 避難。電気・水道も止まったが 農家で食料があったので オバアチャンにおにぎりを沢山握って貰い 後かたづけしている学校に持参した。何日も食べていなかった先生たちに喜ばれた。

この証言集は すべて ドラマ以上に です。

さて この よろこばれた おにぎり どんなおにぎりであったのか
ヒョットすると 具の無い しおにぎり であったかもしれない。日本の御握りの 原型であったかも しれない。
本当に 喜ばれる オニギリ は これかも しれない。
仙台空港弁当売り場 1ケ250円で 3色オニギリ が売られていた。地震から 半年  有り難い 単純原型から 贅沢に進化した。
でも 美味であったのは 震災直後 オバアサンのおにぎり であったとおもう。

3日 3月 

あの大震災から 半年を経過した。あの時 雪が降っていた。そし青葉の季節 灼熱の季節から 初秋となった。
直接の被災地は 依然として復興以前 復旧に至っていない。
シオカラトンボ も 観光客の来仙が減少し ガイド依頼がなく 読書の日々を過ごしています。

朗報です
11日は 「岩出山祭り」です。政宗公が米澤から 秀吉に寄って 配転された地です。
岩出山町は 仙台市より早く 宇和島と姉妹都市の縁結びをして 交流していました。
毎年 宇和島市長が 牛鬼を引き連れ参加していましたが 今年は 市長急用で 幹部職員が名代として参加する。
ついては 帰路 休暇をとり仙台に立ち寄ると メールを頂きました。1日時間を取られるのこと。朗報です。

さて 案内するには。瑞鳳殿と仙台城は ぱっと浮かびました。
仙台市内観光の最大の目玉です。市幹部は 熱烈な政宗公フアン 歴史愛好者でなくとも 仙台の観光のメッカの瑞鳳殿参拝は、観光行政の企画には 参考になると思います。

それ以外に 限られた時間内に案内する箇所は どこか。思案しました。
今でなければ見られない箇所 1000年に1回の機会。被災地です。

貨物船が埠頭に乗り上げたママの仙台港から 海岸線を平行して 村々のあった所を経由し仙台空港まで 案内しながら送る案を立てました。
3日3ケ月を経過 半年になっています。果たして と 思い 下見に出かけました。

貨物船は 埠頭に。途中の村々は 邑があった痕跡のみ 豊かな田圃は アフリカの大草原を思わせる情景。県道ぞいには漁船が放置されていました。瓦礫処理のダンプが疾走しています。復旧は遅々としています。復興は まだまだです。

宇和島市幹部の日程詳細は まだです。 シオカラトンボの提案を採用して頂き 西國伊達領住人から見た 仙台観光企画のアドバスを頂きたいです。

三分の一 三倍

車 10宥余年 乗り続けました。 自民党政権は 廃車にして新車を購入するなら お手伝いします。補助します と言う条件に該当する年数でした。
マニアル車でなければ の条件を満たす車が見あたらず 乗り潰す 覚悟で乗ってました。

今回の震災対応で 満身創痍となり 覚悟しました。
と申して 車がないと 完全座ったきり です。

軽自動車の販売店に 相談したら マニアル車ありました。
但し 震災の影響で 納車は 初冬になるでしょう スパイクタイヤも一緒に買って下さいと言われました。
が 意外や お盆前に 納車なりました。工場が 宮城県ではなく 関西にあった故。

テスト走行 しました。
自動車道 走れました。100kmが限度でした。その以上は無理でした。
1980mの月山8合目までも 登れました。急坂 つづれおりです。

馬力は 3分の1です。坂道は厳しく また 平場でも加速力はありません。 
でも 燃費は3倍 Lあたり 26kmです。駐車場もスイスイです。
満足しました。3年以上乗ります。

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台風

今回の台風は 時速10kmとか。とにかく のろまです。
四国は毎日 台風のもたらす 大雨のようす。

仙台は 本日 快晴でした。夜半に 台風が通過。「台風一過快晴」と表現される快晴と思ったら
台風は まだの 快晴でした。

テレビでは 紀州での大災害の様子を伝えています。通信網が回復すれば 更に被害が増えるでしょう。
困ったことです。

ある人が申していました 昔 地震・津波・台風の災害が集中的に発生したことがある。その時 富士山と鳥海山の火山爆発があった。
残るは 両山の噴火だけ 。
それは 困ります。
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